テニスの穂積絵莉選手の性格がすごく明るくて、病気なんか無関係なようにみえますよね。
自身でも公表していますが、実は小学校からある病と闘いながら選手生活を送っています。
今回この記事では、そんな穂積絵莉選手の
- wiki的プロフや中学高校などの経歴
- 全仏オープン2018ダブルスベスト4入り
- 病気について
- 使用ラケット
について調査してきました。
ではさっそく、穂積絵莉選手のwiki的プロフや中学高校などの経歴を確認していきましょう!
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穂積絵莉の中学校や高校は?ラケットや病気などwikiプロフィールや経歴のまとめ
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穂積絵莉wiki的プロフや中学高校などの経歴は?
名前:穂積絵莉(ほづみ えり)
出身地:神奈川県平塚市
生年月日:1994年2月17日
年齢:26歳(2020年3月時点)
身長:168cm
体重:60kg
経歴:湘南工科大学附属高→鹿島学園(転校)
利き手:右
バックハンド:両手打ち
穂積絵莉選手の実家はテニス一家でお父様もお母様もテニス経験者!
生まれた頃に杉山愛さんに会っているだとか。
でも、3歳の頃から テニスコートで遊んだりもしていましたが、藤沢のテニススクールに通い始めたものの 1ヶ月でやめてしまいました。
その頃はテニスにあまり関心がなかったんでしょうね。
小児喘息ぎみで医者から水泳を勧められてはじめたものの、タイムを計ることに興味がです、水泳も続きませんでした。
そして突然8歳の頃に、テニススクールに行きたいと言出し、茅ヶ崎の 「パームインターナショナルテニスアカデミー」に入りました。
何がきっかけでと思いましたが、おそらくご両親が休みの日にテニスをして楽しんでいたからじゃないでしょうか!
初めは週1回のレッスンでしたが、だんだん夢中になり週4回のレッスンに
12歳の時は全国大会で優勝するほどの実力になっていました。
好きこそものの上手なれと言いますが、まさしく穂積絵莉選手はどんどんテニスを好きになって力をつけることができたんですね。
高校は、湘南工科大学附属に進学!
このときには杉山愛さんのお母様の「杉山芙沙子」さんがコーチでした。
0歳のときに杉山愛さんと会っていますし、きっと家族ぐるみでお付き合いがあったんでしょう!
そして、インターハイではシングルスベスト16位、ダブルスでは1年生で史上初優勝!
プロになるくらいだから、高校生の時からめっちゃ強かったということですね!
当たり前かもしれませんが、それにしてもすごい成績です!
穂積絵莉!全仏オープン2018ダブルスベスト4入り
全仏オープン、女子ダブルスで穂積絵莉と二宮真琴のペアが第1シードのティメア・バボシュ/クリスティナ・ムラデノビッチを破り、ベスト4進出。準決勝では日本人同士のペアとして初の決勝進出に挑みます! #全仏オープン #穂積絵莉 #二宮真琴 #東レPPO #女子テニス pic.twitter.com/CzBC5Pq1ze
— 東レPPOテニス (@torayppo) 2018年6月6日
2012年の1月にプロデビューし、2014年に開催されたアジア競技大会でシングルスと団体で銅メダルに輝きました。
2018年に開催された全仏オープンでは二宮真琴選手とダブルスを組んで16年ぶりに日本女子 テニス ベスト4入り!
残念ながら決勝戦では敗れてしまいましたが、日本女子ダブルスの最高成績を残しています。
穂積絵莉のラケットは?
2019年の情報では穂積絵莉選手の視聴ラケットは「VCORE 100」となっていました。
日比野奈緒選手もこのラケットです。
ラケット:VCORE 100
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ストリング:POLYTOUR STRIKE 125(アイアングレー)
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穂積絵莉の病気は?
穂積絵莉はバセドウ病と闘っていると2018年のテレビの取材で語っていました。
バセドウ病は、心臓に負担かかるので、手足の震え、動悸、息切れや体が疲れやすくなる病気です。
中学3年(14歳)の時に練習中に調子が悪くなって病気が判明したということで症状を抑えるために今も毎日薬を服用しているそうです。
ツアー大会に出場するために海外を転戦していますが 合間を見て 日本に戻り3ヶ月に一回血液検査などを受けています。
頑張ることで同じ病気と戦っている人に勇気を与える存在になりたいと!
こんな大変は病気と闘いながら選手生活を送っているとは全然知りませんでした。
テニスを通じて様々な勇気を与えているはずです!
これからも頑張って下さい。
まとめ
穂積絵莉のプロフィール・経歴についてまとめました。
病と闘いながら大変だと思いますが、1人で多くテニスで勇気づけられるような活躍を期待しています!
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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