宮城大弥の球速・球種は?成績・年俸や父・母の家族構成など経歴のまとめ

 

プロ入り前にドラフト予想記事でも特集しましたが、また違う角度からオリックスの宮城大弥選手について取り上げます!

ルーキーイヤーとは思えない程の大躍進で、開幕ローテーションにも抜擢。

2戦目の先発投手に選ばれました。

宮城選手と言えば、貧乏エピソードも有名です。

貧乏エピソードも含めつつ、選手としての特徴なども紹介します!

 

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宮城大弥のwikiプロフィールは?

名前:宮城 大弥(みやぎ ひろや)
出生地:沖縄県宜野湾市
生年月日:2001年8月25日
年齢:19歳
身長:171㎝
体重:83㎏
投球・打席:左投・左打
ポジション:投手
プロ入り:2019年ドラフト1位
経歴:興南高校ーオリックス・バファローズ

 

宮城選手は、4歳から野球を始めました。

宮城家は貧乏だったこともあり、最初に買ってもらったグローブは700円のビニール製。

小学校時代は、ユニホームはボロボロになっても新しいものを買えずに、母がつぎはぎをして使い続けました。

 

中学時代は、宜野湾ポニーズに所属。

中3の時には、U-15日本代表にも選ばれた経歴もあります。

 

中学卒業後は、地元の興南高校に進学

1年春からベンチ入りし、2・3年夏に甲子園に出場を果たします。

3年時の春の大会では、149キロのストレートを記録。

 

コントロールの良さや野球センスを評価され、2019年ドラフト1位でオリックスバファローズから指名され入団

プロ1年目から、2軍公式戦で153キロのストレートを記録し最速記録を更新。

期待が高まる中で、プロ2年目の2021年シーズンを迎えました!

 

宮城大弥の球速・球種は?

宮城選手の球種はなんと5種類あります!

ストレート、スライダー、チェンジアップ、フォーク、カーブです。

 

高校時代から、直球にスライダーやチェンジアップの変化球を織り交ぜて三振を奪ってきました。

フォークやカーブは、プロ入りしてから習得

 

特に、球速の違う2つのカーブである『ダブルカーブ』は今年注目!

 

 

90キロ台後半の遅いカーブと、110キロ台のカーブを投げ分けます。

ストレートは最速153キロ・平均140キロ台、カーブは最遅で98キロ。

緩急と奥行きを使って相手を打ち取ります。

 

 

変化球が増えたのは、中嶋監督の助言のおかげです。

中嶋監督が2軍の監督を務めていた時に以下のように指摘されたと本人はインタビューで答えました。

「直球とスラだけだったので『空振りを取れる率が低い』と注意されたんです。そのとき、ハッと。何も考えずに投げていたので。そこから、ファウルの取り方や空振りの奪い方を学びました。」

 

先輩方に聞いて回り、カーブとフォークを学び習得。

多彩な変化球は、ストレートをより際立たせていますね。

 

 

多彩な球種も魅力的ですが、投球フォームにも注目です!

 

スリークォーター気味で、球の出所が見えにいフォームが特徴的。

プロ入り前にあのダルビッシュ選手がTwitterで言及したことも話題になりましたね。

 

特徴的なフォームに加えて、制球力も抜群なので打者を翻弄させること間違いなしです!

 

宮城大弥の成績や年俸は?

宮城選手の成績は?

2020年、ルーキーイヤーの成績はこちらです!
























3.94 3 1 1 .500 16 73 19 0 16 6 1 8 7

 

 

2軍での成績はこちらです!
























2.72 13 6 2 .750 246 59.2 51 2 23 1 49 22 18

 

規定投球数には到達していませんが、ウエスタンリーグでの全選手での中の成績で結果を残しています。

勝利数6勝はソフトバンク大竹選手に並び1位、また奪三振は5位です!

 

宮城選手の年俸は?

宮城選手は2019年ドラフト1位で入団しています。

1巡目(現中日・石川昴也)・2巡目(現日本ハム・河野竜生)の指名権を獲得できずに3巡目での指名でした。

2019年11月15日に、契約金8000万・年俸770万(推定)で契約。

 

 

2020年のオフ契約更改は、100万円増の870万でサイン。

球団からは「順調に来ている」との評価だったと会見で話しています。

 

宮城大弥の父・母の家族構成は?

宮城選手の父は?

宮城選手の父・亨さんは、中学3年生の時に交通事故に遭ってしまいました。

その影響で、左腕の神経を損傷し今も自由がききません。

 

亨さん自身も小さい頃から体力や腕力に自信があり、中学時代は野球をプレー。

野球推薦で、福岡の高校に入学が決まっていました。

しかし、交通事故により入学を断念、野球を諦めざるを得なくなりました。

 

1年浪人し、地元の定時制高校に進学した後は、「アメリカで映画関係の仕事がしたい」と渡米。

渡米中実父が亡くなり、家族のことを考えて帰国します。

左手の後遺症のため、帰国はなかなか定職に就くことが出来ずにいました。

 

そんな中、宮城選手が誕生し、更には4つ下の妹も誕生します。

宮城選手が高校に進学する頃までは、苦しい生活が続きました。

その頃の生活を振り返って、父・亨さんは以下のようにインタビューに答えています。

 

「家族には本当に苦労をかけました。大弥が小学3年から中学3年になるまで6畳一間で暮らしていました。場所を取る冷蔵庫はベランダに置くような生活環境で、水道が止まったこともあります。大弥は中学に入って硬式野球を始めたのに、軟式用のグラブしか買い与えてやれなかった。中学3年時にU15日本代表に選ばれ、福島で行われた試合の遠征に行く際は、家に5000円しかなく、小遣いを3000円しか渡せなかった。すると大弥はこう言ったんです。『あっちにいけば、食べる物があるんでしょ? お金はなくても大丈夫だよ』って」

 

苦しい生活状況が伺えますね。

 

今はレンタカー会社に勤める傍ら、興南高校の野球部寮の寮監をしています。

 

母などの他の家族は?

 

左に写る女性が宮城選手の母、右に写るのは父・亨さんです。

宮城選手のお母さんは、前述したようにユニホームのつぎはぎをしたり、と宮城選手を傍で支えてきました。

 

宮城選手の他の家族は、詳しく紹介されていませんが兄弟8人の10人兄弟です。

兄弟も多く、大変だったのではないでしょうか。

 

ドラフト会議の際には、特別番組でも特集されて以下の貧乏エピソードも紹介されました。

  • 家計がピンチになると具なしカレーを作る
  • 水道が出なくなり、幼児だった宮城選手の身体をやかんの残り水を沸かしタオルで拭く

 

本人も「少しでも息の長い選手になりたい」とコメントしたことがあります。

今まで苦しかった思いを払拭してほしいですね!

まとめ

今回は宮城大弥選手についてでした!貧乏エピソードの数々には驚かされました。

球種も増えたということで、期待がますます大きくなりますね。

今シーズンは宮城選手に大注目です!

最後までご覧いただきありがとうございました。