田臥勇太のNBAでの成績や年俸(年収)は?結婚や引退の可能性について考えてみた
※当ページのリンクには広告が含まれています。

田臥勇太のNBAでの成績や年俸(年収)は?結婚や引退の可能性について考えてみた

 

いよいよ1年越しの東京オリンピックが近づいてきましたね。

本当に開催できるのかという議論は続いてはいますが、聖火ランナーのリレーが日本で始まります。

今回は聖火ランナーとして、現在所属する宇都宮ブレックスのホームタウンである栃木県宇都宮市を走る予定となっているのです。

本来は2020年3月30日に走る予定でしたが、オリンピックが1年延期されたことで2021年3月29日へと変更となりました。

 

そこで今回は、田臥勇太選手の

  • wiki風プロフィール
  • 経歴
  • 年俸
  • 引退
  • 結婚

では、早速プロフィールから確認していきましょう。

 

スポンサーリンク

田臥勇太(バスケットボール)のwiki風プロフィール

  • 名前:田臥 勇太(タブセ ユウタ)
  • 生年月日:1980年10月5日生まれ
  • 出身地:神奈川県横浜市金沢区
  • 身長:173cm 体重:76kg
  • 足のサイズ:29cm
  • 出身校:横浜市立大道中学校〜秋田県立能代工業高等学校〜グリンガムヤング大学ハワイ校
  • 大学卒業後の経歴:トヨタ自動車〜ロングビーチ・ジャム(ABA)〜フェニックスサンズ(NBA)〜アルバカーキ・サンダーバード(DL)〜ベーカーズフィールド・ジャム(DL)〜アナハイム・アーセナル(DL)〜宇都宮ブレックス

 

経歴を見ているとアメリカでいくつものチームを渡りあるいて、夢を叶えたことがわかります。

 

田臥勇太のNBAでの成績や年俸(年収)は?

アメリカでの成績は?

上述の経歴欄にもあるように田臥選手はアメリカNBAのサンズ(2004年)に加入しました。

これは日本人として史上初の快挙となりました。

しかし、夢のNBAへたどり着くまでには紆余曲折があったのです。

2003年5月にトヨタ自動車を退団し、NBAのダラス・メーベリックスのサマーリーグに参加しました。しかし、選手契約は勝ち取れず。

同年、9月にNBAナゲッツと契約します。プレシーズンゲームに3試合出場を果たしますが、本契約はこちらも勝ち取れず。

田臥選手のウィークポイントとして173cmという身長の低さがありましたが、ナゲッツでは田臥選手よりも身長の低いアール・ボイキンス選手(165cmでNBA史上2番目に背が低い選手)がいましたが、ポジションを奪い取ることができませんでした。

2003年10月にはアメリカ独立リーグであるABAのロングビーチ・ジャム・アルビレックスと契約を果たします。

ちなみロングビーチ・ジャム・アルビレックスでは、2000年に現役を引退していたデニス・ロッドマンが現役復帰し共にプレーしたことでも知られています。

そして、ついに2004年9月6日にNBAのサンズと契約を果たしたのです。

同年11月1日、フェニックス・サンズの開幕メンバーに登録され、日本人として史上初のNBAプレーヤーという快挙を成し遂げます。

当時、日本では連日のように田臥選手の報道がされていたのを記憶しています。

しかし、開幕4試合には出場(プレータイムは計17分、7得点3アシスト)したが12月に解雇となったのです。

その後は、ABAのロングビーチ・ジャムと再契約し、NBAへの復帰を目指すこととなります。

そして2005年NBAロサンゼルス・クリッパーズと契約を勝ち取り、再びNBAでのプレーと日本中が期待しましたが、プレシーズン戦7試合に出場後のシーズン開幕前の10月31日に経験不足を理由に解雇されてしまいました。

それでも田臥選手は諦めません。

同年11月3日にNBA傘下のNBAデベロップメント・リーグに9巡目70位でドラフト指名され、アルバカーキ・サンダーバーズに入団します。

ここでは、主力選手として活躍を見せますが怪我で後半戦は棒に振ることになってしまいます。

2006年7月には、再びNBAダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加をし、同年11月にNBAデベロップメントリーグのベーカーズフィールド・ジャムに3巡目11位指名を受けて入団。

2007年11月、同リーグのアナハイム・アーセナルへ移籍。

2008年7月、NBAニュージャージー・ネッツのサマーリーグに参加しましたが、日本への帰国を決意します。

そして、日本人初のNBAプレーヤーという肩書きを提げて、2008年8月31日に能代工時代の恩師であある加藤三彦さんが率いるJBLリンク栃木ブレックス(現、Bリーグ 宇都宮ブレックス)に入団することになります。

実に、6年ぶりの国内復帰となり、2021年3月現在(40歳)も宇都宮ブレックスの主将としてプレーを続けています。

 

当時の年俸は?

さて、年俸についてですが、NBAの平均年俸は7億円と言われています。

下部リーグの平均年俸は200万〜300万ですから、まさにNBAで活躍することはアメリカンドリームです。

では、田臥選手の年俸はいくらかというと短期間とはいえNBAで試合にも出場していたため気になるところです。

実際は、当時の年俸は公表されていませんが、1000万円前後ではないかと言われています。

常にロスター入りをして、継続しての活躍がやはり大切になりますね。

 

田臥勇太の引退の可能性は?

引退について

そんな40歳を越えても現役を続ける田臥選手ですが、バスケットボールで現役を長く続けるというのは容易なことではありません。

バスケットボールは基本的には単年契約がほとんどなのです。

※Bリーグは契約年数を公表していませんが、一部選手は複数年契約をしていると言われています。

そのため、翌シーズンの契約を勝ち取るにはシーズンでしっかりとしたスタッツ(成績)を残す必要があるのです。

田臥選手は2008年に日本帰国後、ブレックス一筋ということは成績を残し続けて、契約を勝ち取っている証拠となります。

バスケットボールの引退年齢が平均で34歳前後と言われています。バスケットボールは他の団体スポーツに比べて登録人数が少なく、契約を勝ち取るのは並大抵のことではないのです。

他のスポーツに目を向けるとプロ野球は2021年の球界最年長は中日の福留孝介選手43歳、Jリーグはご存知キング・カズこと三浦知良選手で53歳です。

 

そう考えてもバスケットは選手寿命が非常に短いスポーツと言えます。

2021年10月には41歳を迎える田臥選手。

引退の時期は確実に近づいています

 

2017−18は60試合の出場をしましたが、翌2018-19シーズンは15試合、2019-20シーズンは16試合と年齢によるコンディション不良や左膝半月板損傷という大怪我などの影響で試合出場が年々難しくなっています。

しかし、ベンチ入りした試合では主将として声を出し続けてチームを鼓舞する姿が見られています。

引退後は、指導者への道へ進むことを予感させてくれます。

 

2020-21シーズン(2021年3月14日現在)は、21試合に出場はしているがプレータイムが短く、ボールに触れることもなく終わる試合もあります。

宇都宮ブレックスにはスター選手が揃っていることもありますが、中でも田臥選手の知名度はバスケットを普段見ない方々も知っているほどです。

そのためBリーグの宇都宮ブレックス戦というのはチケットの売れ行きが良いです。

しかし、先述したように田臥選手にプレーを見れる機会が減ってきているのです。

ですので、見れるチャンスがある方は、田臥選手の現役でもプレーを目に焼き付けておいた方が良いかもしれません。

 

田臥勇太は結婚している?

つづいてはプライベートの面に迫って行きたいと思います。

田臥選手が結婚しているかは不明です

しかし、過去に熱愛は報道されたことがあります。

2017年に当時、テレビ朝日のアナウンサーであった竹内由恵さんとの熱愛が週刊誌にて報道されました。

 

二人ともに報道を事実と認めたようで付き合っていたのは間違いないです。

噂では田臥選手は2年もアタックを続けていたなんてことも。

しかし、二人の交際は終わりを告げます。

竹内さんと田臥選手には一時結婚話も出ていたようですが、東京と栃木という遠距離であり、多忙を極める二人は、すれ違いの末、2018年3月に別れたとのことです。

田臥選手は竹内さんとの交際の前は同じくテレビ朝日のアナウンサーであった前田有紀さんとの熱愛報道もありました。

栃木で同棲をしていたという報道もありましたが、結婚寸前で結局、破局。

一部、噂では田臥選手はあまり結婚願望がないという話も近しい人間からでているようです。

しかし、女子アナキラーですね。

竹内さんとの破局報道以降は、田臥選手の情報は出ていない状態です。

実際に結婚しているのか現在の彼女など田臥選手からの発信を待ちましょう。

 

まとめ

田臥選手は体の小ささをものともせず、NBAプレーヤーという夢を叶えました。

活躍というところまではいきませんでしたが、日本人の可能性を大きく世界へアピールしてくれましたし、当時の日本での大きな報道は鮮明に覚えています。

解雇になっても、諦めずに挑戦を続ける姿勢は素晴らしいの一言です。

これは後にNBAプレーヤーとなる八村塁選手や渡辺雄太選手、そしてNBAを目指し挑戦を続ける馬場雄大選手や富樫勇樹選手、比江島慎選手へ大きな勇気と影響を与えています。

田臥選手が歩んできた道、残した功績を語り継いで行きたいですね。

そして今後、田臥選手のプレーする姿が少しでも長く見られることを期待しています。

 

 

タイトルとURLをコピーしました