クレー射撃選手の石原奈央子さん。2021年東京オリンピックは、自国開催枠での出場が決定しています。
普段は実家の神社で、神様に仕えており、その職業柄か、とても落ち着いた射撃を見せてくれます。
普段は明るくにこやかで、石原奈央子さんのような人が上司だったら良いなぁなんて思っています♪
今回は、石原奈央子さんについて、こんなことを調べました!
- 石原奈央子(クレー射撃)のwikiプロフィールは?
- 石原奈央子(クレー射撃)の出身高校や大学は?
- 石原奈央子(クレー射撃)の実家は古峯神社?
- 石原奈央子(クレー射撃)の父親は?
- 石原奈央子(クレー射撃)の結婚は?
少し変わった経歴を持っている石原奈央子さんの魅力について、お伝えします!
スポンサーリンク
石原奈央子(クレー射撃)のwikiプロフィールは?
スキート女子 石原奈央子(宗教法人古峯神社) pic.twitter.com/2gyrzXwHkF
— 日本クレー射撃協会 (@jctsa_official) May 9, 2018
- 名前:石原奈央子(いしはら なおこ)
- 生年月日: 1974年10月22日
- 年齢:46歳(2021年7月現在)
- 身長:157cm
- 体重:64 kg
- 所属:古峯神社
- 出身地:栃木県鹿沼市
石原奈央子さんは、実家の「古峯神社」で神職についています。
装束を着たまま銃を持つと、見た目のインパクトがすごいですよね(笑)
「神職スナイパー」とも呼ばれる石原奈央子さん。
1974年生まれで、2021年で47歳になります。
精神力が非常に重要となるクレー射撃では、年齢を重ねた方が有利になる場合も。
石原奈央子さんは、22歳でライセンスを取得し、32歳で本格的にクレー射撃を始めました。
石原奈央子さんの競技歴は2021年で15年。競技を始めてから、15年から20年が1番当たるといわれており、ちょうど今がピークの時期ですね。
神様に仕えている石原奈央子さんは、「神様がいることを信じ、自分の力を信じ、射撃がうまくいかなくても大丈夫、と信じる。それが強みになる。」と話しています。
リオ五輪の直後から東京五輪を目指す
この投稿をInstagramで見る
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、予選敗退と悔しい結果に終わってしまった石原奈央子さん。
「大舞台の雰囲気に飲まれてしまった」と、振り返っています。
しかし、悔しい思いをしたことで、ますますメダル獲得に向けての意欲がわきました。
リオオリンピックが終わってすぐ、東京オリンピックに向けての練習を始めます。
古峯神社が所有している射撃場で、練習する日々。
海外からコーチを招いて助言を受け、環境が変わっても冷静にクレーを狙えるよう、国内の射撃場を転々としていた時期もあります。
精神力が重要となる射撃において、メンタルトレーニングも欠かせません。
脳波を測定しながら集中力を上げ下げする訓練や、呼吸法により心を落ち着かせる訓練などを行っています。
メンタルトレーニングを取り入れた結果、雑念をコントロールできるようになり、射撃のことだけを考えられるようになりました。
2021年5月に行われたこの大会では、素晴らしい集中力でクレーを狙い、メダルを獲得しています!
若手が増えにくいクレー射撃
20歳でライセンス取得可能となるクレー射撃は、他の競技とは違い、幼いころから練習を積み重ねることはできません。
日本は、銃を所持することに関して、厳しい法律があり、銃を所持するには、「ライセンス(所持許可)」を取得する必要があります。
1つの銃に対して、1つの許可が必要な「1銃1許可制」なので、「ちょっと試しに撃たせてもらう」ということができず、経済的負担も大きいため、若手が増えにくいのです。
しかし、銃を撃っている選手の姿を見ると、やっぱりかっこいいですよね。
ライセンスを取得するためには、講習を受け、試験に合格しなければなりませんが、苦労したぶん、初めて銃を手にしたときの喜びも大きいです!
最近では、著名人がクレー射撃をしているのを、テレビなどで見かける機会も増えました。
芸能文化人ガンクラブは、高木ブーさんが会長でしたが、ヒロミさんに引き継ぎ、加藤浩次さんも会員です。
ボクも柔和でしょ。
と語る元芸能文化人ガンクラブ会長高木ブー pic.twitter.com/CNFJjBnrYk— 🥇あっぺとっぺ (@367cq6CrckdOD6H) December 23, 2020
始めるのにハードルが高い競技ではありますが、オリンピックをきっかけに、日本でももっと普及してほしいですね!
ちなみに、石原奈央子さんは、Perazzi(ペラッチ)というイタリアのメーカーの銃を使っています。
弾はかわいい色が好みで、リオオリンピックのときは緑を使っていました。年によって弾の色を変えるのも、気分転換になって良いですね。
クレー射撃は、自分との戦いだと話す石原奈央子さん。射撃は、張り詰めた緊張感と迫力、当たったときの爽快感も魅力です。
興味があるあなたはぜひ、射撃にチャレンジしてみてください♪
石原奈央子(クレー射撃)の出身高校や大学は?
石原奈央子さんの学歴は、こちらです。
- 東京純心女子高等学校(東京)
- 昭和女子大学 人間文化学部 歴史文化学科(東京)
- 國學院大学 神道文化学部(東京)
- アングリア・ラスキン大学(イギリス)
小学校と中学校は公開されておらず、どのような経緯で東京の高校に進学したのか気になりますが、すごい学歴ですよね。
なんと、大学に13年間も通っています。
石原奈央子(クレー射撃)の出身小学校と出身中学校
石原奈央子さんは、鹿沼市西大芦地域出身のため、「鹿沼市立西大芦小学校(2018年に閉校)」に通っていたと思われます。
中学校は、この地域だと「鹿沼市立西中学校」です。
石原奈央子さんのご実家である古峯神社からだと、車でも30分以上かかります。古峯神社は、山の上にあるため、周りに学校などはなく、遠いところまで通学していたのですね。
東京純心女子高校は、中高一貫校のため、純心女子中学校に通っていた可能性もあります。
実家の隣が射撃場だったため、幼いころから「射撃」という競技を身近に感じていました。
銃を触ろうとするとものすごく怒られてしまい、「大人だけが触れるもの」というイメージが強かったとのこと。
射撃をやりたい、というよりは、銃に触ってみたい気持ちのほうが大きかったようです。
石原奈央子(クレー射撃)の高校~大学時代
石原奈央子さんの高校は、「東京純心女子高校」です。
高校時代はサッカーに熱中し、FWとして東京都リーグの最優秀選手に選出されたこともあります。
高校卒業後は、「昭和女子大学」で歴史について学びます。
卒業論文は、実家について研究した「古峯神社の研究」を提出しました。
1300年の歴史がある古峯神社について丁寧にまとめており、当時卒論を読んだ先生がいまだに覚えているほど。
口頭質問にも冷静に答えており、先生は「少しばかりのことでは動じない人」だと感じたそうです。
また、石原奈央子さんはこのころすでに、実家の古峯神社を継ぐという気持ちが固まっていました。
1997年に昭和女子大学を卒業したあと、「國學院大学」に入学し、神職の資格を取得します。
昭和女子大学では勉強が忙しかったのですが、このころようやく落ち着いてきて、23歳で銃の所持許可も取得しています。
いろんなジャンルの勉強を同時期にこなしていて、驚きますよね。
國學院大學卒業後も、勉強熱心な石原奈央子さんは、満足することなく、さらに勉強を続けます。
次は、イギリスにある「アングリア・ラスキン大学」に入学。5年ほど語学留学をしました。
アングリア・ラスキン大学では、さまざまなことが学べます。
- 歯学、看護学、薬学
- 建築学、構築環境・土地計画
- アート&デザイン:美術史、理論と実際
- ビジネス、マネジメント
- コミュニケーション、文化・メディアスタディ、図書館&情報マネジメント
- 英語学、文学
- 地理学、環境学、考古学
- 歴史学
イギリスでどのような暮らしをしていたかは語られていませんが、個人的には、「歴史学」を学んでいたのではないかと思います!
これから神社を運営していかなくてはいけないため、ビジネスを学んでいた可能性もありますね。
32歳でクレー射撃を本格的に開始
アングリア・ラスキン大学を卒業したのが32歳。
帰国後、本格的にクレー射撃に取り組むことになります。
日本クレー射撃協会の「選手発掘プログラム」に参加し、2007年に初めて全国大会へ出場します。
しかし、結果は散々で、最下位に終わってしまいました。
クレーに当たったのは半分以下となり、勝つ気満々で出場した石原奈央子さんは、実力の差を思い知ることとなります。
最下位だと認識したとき、「絶対に上手くなってやる。絶対にオリンピックに行ってやる」と、石原奈央子さんの心に火がつきました。
石原奈央子さんは、クレー射撃を始めるのが遅かったぶん、短期間で成長しているように思います!
石原奈央子(クレー射撃)の実家は古峯神社?
石原奈央子さんの実家は、栃木県鹿沼市にある「古峯神社」です。
1300年の歴史がある古峯神社には、ヤマトタケルノミコトが祀られており、ヤマトタケルノミコトの使いが天狗であることから、「天狗の社」としても有名です。
2021年現在、石原奈央子さんは権禰宜(ごんねぎ)という神職についており、これは、宮司(ぐうじ)の2つ下の位にあたります。
一般企業で表すと、「宮司」は代表者、「権禰宜」は一般社員です。
現在は父・敬士さんが宮司を務めており、石原奈央子さんは、敬士さんのあと、宮司を務めることになっています。
石原奈央子さんは3姉妹の次女なのですが、お姉さんと妹さんは、既にご実家から出ているようですね。
また、古峯神社は、隣接する8000坪の射撃場を所有しており、石原奈央子さんはこの「古峰ヶ原射撃場」の代表です。
この射撃場は、石原奈央子さんのひいおじいさんが作ったものです。
幼いころから、お父さんやおじいちゃんが射撃をするのを見てきたため、射撃をやりたいという思いをずっと持っていました。
神職についているだけあって、祝詞(のりと)で集中力を高めたり、気持ちを切り替えたりしていると話す石原奈央子さん。独特な集中方法ですよね!
歴史や神社が好きなあなたは、ぜひ、お参りしてみてください。
ヤマトタケルノミコトは、すべての開運・除災・新願成就の神としてご利益がありますよ♪
石原奈央子(クレー射撃)の父親は?
石原奈央子さんの父・敬士(けいし)さんは、1943年3月7日生まれで、2021年現在78歳。
敬士さんは古峯神社の宮司をしており、栃木県神社庁長。また、日本クレー射撃協会の副会長でもあります。
石原家はクレー射撃一家で、敬士さんは、父・重殷(しげたか)さん(石原奈央子さんの祖父)に射撃を教わり、腕を磨きました。
オリンピックに出場できる機会があったにもかかわらず、やむなく出場できなかったことから、「幻の五輪代表」「最もついていない男」と呼ばれたこともありました。
まず、1968年メキシコシティーオリンピックの日本代表に選出されましたが、日本クレー射撃協会の不祥事により出場辞退を余儀なくされます。
1970年に、アマチュア規定違反により、日本クレー射撃協会が日本体育協会から除名され、1972年ミュンヘンオリンピック出場資格を失ってしまいました。
1973年、日本体育協会に復帰しましたが、1976年のモントリオールオリンピックは国内予選で敗退。このときの対戦相手は、自民党の麻生太郎さんです。
1980年モスクワオリンピックで、ようやく日本代表に選出されますが、日本がオリンピックをボイコットすることを決定し、またも出場できませんでした。
そのあとは、競技を引退。宮司の仕事に専念することとなります。
「しょうがない」と、騒動を冷静に見ていたと話す敬士さんですが、さすがにかわいそうですよね。
この事情を知っている日本オリンピック委員会会長の山下泰裕さんが、敬士さんに連絡をして、2020年東京オリンピックの聖火ランナーを務めることになりました。
東京オリンピックも1年延期となり、「つくづくオリンピックには縁がない」と肩を落としましたが、無事開催されて良かったです!
40年越しにオリンピックへ参加できて、娘の石原奈央子さんも出場決定し、「4度目の正直」ですね。
走っている敬士さんは、さわやかな笑顔で、輝いていました。
石原奈央子さんがメダルを持って帰ることができれば、敬士さんの思いも報われるでしょう♪
石原奈央子(クレー射撃)の結婚は?
石原奈央子さんが結婚しているかどうかの情報は、ありませんでした。
イギリスの大学を卒業し、帰国したのが32歳のころで、そのあとは神職についた石原奈央子さん。
射撃場の代表もしており、スタッフは男性ばかりなので、この中に石原奈央子さんのご主人がいらっしゃるかもしれませんね。
明るい性格で、朗らかな笑顔が魅力の石原奈央子さん。
これまで支えてきた男性がいても、おかしくありません。
石原奈央子さんはSNSなどもしていないので、情報が入ってきにくいのですが、「神職スナイパー」が東京オリンピックで活躍すれば、とても目立つような気がします!
今後、メディアで取り上げられることが増えれば、結婚しているかどうかも、教えてくれるかもしれませんね♪
まとめ
この投稿をInstagramで見る
【クレー射撃日本代表選手石原奈央子さん】
- ライセンス取得は22歳、32歳で本格的にクレー射撃を始めた
- リオ五輪にも出場しており、その直後から東京五輪の準備を始めた
- 東京純心女子高校出身
- 昭和女子大・国学院大・アングリアラスキン大に通っていた
- 実家は栃木県鹿沼市の「古峯神社」
- 神社が所有している射撃場の代表も務める
- 父・敬士さんは「幻の五輪代表」といわれる
- 父・敬士さんは2021年東京オリンピックの聖火ランナーを務めた
- 結婚しているかの情報はない
- Twitter:古峯神社【公式】
- 古峯神社公式ホームページ
- 古峰ヶ原射撃場公式ホームページ
日本にもっとクレー射撃を普及させたいと願いながら、競技に取り組む石原奈央子さん。
石原奈央子さんの活躍によって、クレー射撃に興味を持つ方が、少しでも増えれば嬉しいです。
リオオリンピックのリベンジができるよう、石原奈央子さんを応援しています!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント