4歳のときに新体操を始め、競技歴は2021年で16年になる喜田純鈴さん。
幼いころから、同世代に負けたことがなく、トップを走り続けてきました。
高校2年生で、フェアリージャパン個人選手に選ばれ、東京オリンピック選考会ではトップの成績で代表に内定しました!
しかし、これまで順風満帆だったわけではなく、苦しい時期もありました。
今回は、喜田純鈴さんについて、こんなことを調べました!
- 喜田純鈴(新体操)の年齢体重や年齢などwikiプロフィール!
- 喜田純鈴(新体操)の衣装やメークについて
- 喜田純鈴(新体操)の出身校は?これまでの経歴など
- 喜田純鈴(新体操)のコーチは?
- 喜田純鈴(新体操)の両親や家族(父・母・妹)は?
あなたもぜひ、今後の新体操や喜田純鈴さんに注目してくださいね♪
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喜田純鈴(新体操)の年齢体重や年齢などwikiプロフィール!細くて眞子さま似
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- 名前:喜田純鈴(きた すみれ)
- 生年月日:2001年1月11日
- 年齢:20歳(2021年7月現在)
- 出生地:熊本県
- 身長:165cm
- 体重:46kg
- 血液型:不明
- 出身地:香川県坂出市
- 所属:エンジェルRGカガワ日中
喜田純鈴さんは4歳のときに、新体操を始めました。
ご両親も新体操経験者ですが、喜田純鈴さんを新体操選手に育てようとしていたわけではありません。
たまたま近所に新体操クラブ「エンジェルRGカガワ日中」ができたことがきっかけでした。
そこで、現在に至るまで喜田純鈴さんを指導している、劉宇(リュウ ユ)コーチと出会います。
内気な性格で、最初はなかなかお母さんから離れることが出来なかった喜田純鈴さん。
しかし、踊る楽しさにどんどん魅了されていきました。
手足の長さと柔軟性、リボンなどの手具を巧みに扱う器用さが、喜田純鈴さんの強みです。
眞子さまにそっくりで、長い手足が美しい喜田純鈴さん。
その上品な姿は、皇族だといわれても信じてしまいそうなほどです。
なんといっても、とにかく細いですよね!
新体操では、【身長(cm)-120=おおよその体重(kg)】となっている選手が多いように思います。
喜田純鈴さんも、身長165cm・体重46kgと一見かなりのやせ型ですが、新体操の選手は、幼いころから体重管理をして、食事にも気をつかっています。
練習のあとに、「次までに体重を〇kg減らしてくるように」と指導されることもあるとか。
新体操は、極限まで柔らかくなければいけませんし、見た目の美しさも重要です。
喜田純鈴(新体操)の衣装
喜田純鈴さんの衣装は、フィギュアスケートなどの衣装製作を手がける「SATOMI ITO」さんのものです。
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デザイナー伊藤聡美さんは、エスモード東京校からノッティンガム芸術大へ留学。
帰国後、衣装会社に入社し、2015年に独立しました。
羽生結弦選手の衣装なども、手がけています。
素敵な衣装ありがとうございました😌 https://t.co/qWnQAfOW3t
— 喜田純鈴 (@ktsmr2001) May 4, 2020
まるで芸術作品のような美しさですよね。この衣装で、喜田純鈴さんがどんな演技を見せてくれるのか、本当に楽しみです!
喜田純鈴(新体操)のメーク
フェアリージャパンPOLAには、8名の美容コーチがいます。
2021年のメークテーマは、「Shiny Beauty~飛躍メーク~」。
選手それぞれの個性を活かし、魅力を際立たせることを大切にしており、喜田純鈴さんは「力強くクール」なメークになっています。
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喜田純鈴さんはあごのラインがきれいで、シャープな顔立ちですよね。クールなメークがとても似合っています。
目頭のレッドは華やかさと女性らしさ。目じりのダークグレーはを奥行と力強さを演出しています。
レッドは競技専用品のため非売品ですが、ダークグレーは市販品です!
▼ポーラ B.A カラーズ アイパウダー 1 ダークグレー&ホワイトシルバー
喜田純鈴さんの明るい表情を引き立てるレッド。
目元のレッドと掛け合わさり、肌色も明るい印象になります。
喜田純鈴さんのチークは、アイとリップを際立たせるために、肌なじみの良いコーラルを使用しています。
このチークは、汗・水・皮脂に強く、競技にも使えるほどの耐久性でおすすめです!
喜田純鈴(新体操)の出身小学校や中学校は?
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喜田純鈴さんの地元は、香川県坂出市。坂出小学校・坂出中学校の出身です。
劉宇(リュウ ユ)コーチいわく、小学校入学後から才能が開花しはじめたとのこと。
小学校3年生のころからずば抜けた才能
全日本クラブチャイルド選手権で、小学3年生から3連覇。
優勝や、この選手に勝つなどといった目標は定めずに、「先生に教えてもらったことを一生懸命やる」と考え、練習でも大会でも、精一杯演技をしました。
人前で踊ることが大好きで、心から楽しんで新体操に取り組んでいたことが、結果に繋がったのでしょう。
当時は、オリンピックに出たいなど考えておらず、「週1回の習い事」感覚でした。
できないことでも、一生懸命努力すれば、できるようになり、評価もしてもらえるという喜びを知った時期でした。
中学生で感じた重すぎるプレッシャー
中学1年生のころ初出場した全日本選手権では、種目別フープとクラブで史上最年少の優勝を果たしました。
高校生や大学生も出場している中、12歳の少女が優勝。
オリンピックの東京開催が決まった時期だったこともあって、注目が集まります。
そのあとも、周囲の期待に応え続け、好成績を残してきた喜田純鈴さん。
劉宇コーチだけは、彼女の異変に気付きます。
「見られている」「期待されている」ということに意識がいきすぎて、ミスを恐れるようになってしまったのです。
その結果、これまでの持ち味だった大胆さや力強さが、弱くなってしまいました。
喜田純鈴(新体操)の出身高校や大学は?
中学校で活躍したことにより、新体操の楽しさや、結果が出る喜びを知りました。
しかしその反面、「期待されている」というプレッシャーを感じすぎて、演技に影響がでてしまうことに。
高校入学後に、喜田純鈴さんに転機が訪れます。
中学卒業後は高松中央高等学校へ進学
中学卒業後は高松中央高校に進学した喜田純鈴さん。
高校2年生のときに、「13期フェアリージャパン(新体操日本代表)」に個人選手として選ばれます。
さらに、日本体操協会の特別強化選手として、拠点をロシアに移すことになりました。
ロシアでの成長と怪我
新体操王国のロシアは、設備が充実しており、日本のように注目されることもなかったため、練習に集中することができました。
また、トップレベルの選手たちと過ごすことによって、良い刺激をもらうことができたため、言葉や文化の違いに苦戦しながらも、ロシアでの練習に励みます。
今までずっと一緒だった劉宇コーチと離れることで、メンタル面でも成長した喜田純鈴さん。
「今までは気持ちの弱さが演技に出ていたけれど、自分をうまくコントロールできるようになった。」と振り返っています。
しかし、大会では思うような結果を出せず、伸び悩んでいました。
さらに、突然腰の痛みで動けなくなってしまい、急遽帰国することに。
診断は、「剥離(はくり)骨折」。剥離骨折とは、骨が剥がれ落ちてしまう骨折のことです。
激痛で、前に曲げることも後ろに反ることもできず、復帰までは約3か月かかりました。
再開後も、以前と同じように動くことはなかなかできず、もどかしい日々が続きます。
怪我で帰国したことにより、劉宇コーチと関わる時間が増え、「もう1回劉先生と練習したい」という思いが強くなった喜田純鈴さん。
2年間ロシアで練習してきましたが、劉宇コーチとも相談し、拠点を地元・坂出市に戻すことを決意しました。
高校卒業後は国士舘大学に進学
高校卒業後は、国士舘大学に進学し、新体操部に入部します。
卒業前に帰国したことによって、高校の卒業式や、大学の入学式にも参加することができ、新鮮な気持ちになれたと話す喜田純鈴さん。
特別強化選手として入部した喜田純鈴さんは、入学当初は特別視されていました。
しかし、一部員として接してほしいとみんなに伝え、国士舘大の山本里佳監督からも分け隔てなく指導してもらいました。
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幼いころは内気な性格だった喜田純鈴さんですが、積極的に話しかけるように努め、打ち解けることができたとのこと。
怪我の影響で身体が思うように動かず、気持ちも落ち込んでしまい、時には悔し涙を流すこともありました。
劉宇コーチと二人三脚で粘り強く調整を続け、状態も少しずつ上向きに。
メンタル面でも変化があり、「よく笑うようになったと言われる」と話しています。
大学2年生になった現在は好調で、東京オリンピック選考会でも、トップの成績で内定。
怪我を経験し、苦しい時期があったからこそ、自信を持った本来の演技を見せることができたのではないでしょうか。
東京オリンピックでは、「まずはやりきったと思える演技をしたい」と語る喜田純鈴さん。
普段通りの演技で、めいっぱい楽しんで踊ってほしいです♪
喜田純鈴(新体操)のコーチは?
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喜田純鈴さんは、所属する「エンジェルRGカガワ日中」の劉宇(リュウ ユ)コーチに、4歳のころから指導を受けています。
中国出身の劉宇コーチは、9歳のころから中国ナショナルチームに在籍し、下記のような好成績を残しています。
- 1988年 中国全国新体操選手権ジュニア部 総合1位
- 1990年 4大陸選手権 総合3位/ボール1位
劉宇コーチが来日したのは、1995年のことです。
2年後、香川県綾川町にエンジェルRGカガワ日中新体操クラブを設立しました。
2021年現在、エンジェルRGカガワ日中は、香川・岡山・東京に全7校あり、全国レベルの選手をたくさん育ててきました。
喜田純鈴さんの才能が発揮され始めたのは、小学校入学後でした。
スタイルも良く、柔軟性もある喜田純鈴さんに可能性を感じ、期待も込めて厳しく指導してきたとのこと。
「才能がある。日本にとって宝物。」と、喜田純鈴さんを評価しています。
劉宇コーチは、幼いころから喜田純鈴さんを見てきたため、癖や特徴を理解しています。
喜田純鈴さんがロシアから戻ってきたときも、できなくなっている点を的確に見つけ出し、指導してくれました。
生徒たちにも、我が子のように愛情を注ぐ劉宇コーチ。
「ミスする自分とも付き合って、乗り越えないといけない」という考えで、ミスしたところは、成功するまで何度も繰り返し練習させます。
喜田純鈴さんも、その厳しさに、涙を流しながら練習を続けたことも。
しかし、成功したときには、「あなたならできる」ときちん認め、褒めてくれます。
喜田純鈴さんも、「(劉宇コーチは)厳しいけれど、この厳しさがあったからここまでこれた。苦には思っていない。」と、劉宇コーチを心から信頼しています。
長年連れ添った喜田純鈴さんと劉宇コーチ。大会が終わったあとには、かならず喜田純鈴さんが劉宇コーチのところに駆け寄り、劉宇コーチが優しくハグをします。
そのシーンから、2人の絆がどれほど強いか、感じることができました。
喜田純鈴(新体操)の両親や家族(父・母・妹)は?
喜田純鈴さんは5人家族で、3人兄弟の長女です!
- 父・和敏さん
- 母・志保さん
- 妹・未来乃(みらの)さん
- 弟さん
母・志保さんは小学校から大学まで新体操をしていて、2007年からエンジェルRGカガワ日中のコーチです。
喜田純鈴さんが6歳のころから、他の生徒たちへ指導しながら、そばで見守ってきました。
オリンピック出場が決まったときは、「勝ち負けより、練習の全てを出してほしいと願っていた。本当に努力したと思う。」と話しています。
父・和敏さんも新体操経験者。「坂出市体操協会」の理事を務めています。
オリンピック出場決定を電話で知り、「周りに人がいなければ、飛び上がりたかった」ほどの喜びでした。
「苦しんでいるときも、見守るしかできなかった。本当に自慢の娘です。」と話しています。
2021年現在16歳の妹・未来乃さんも、5歳のころから新体操をしています。
同じくエンジェルRGカガワ日中で、劉宇コーチに教わっており、すでに喜田純鈴さんに負けないほどの好成績を残しています!
- 全日本チャイルド選手権優勝(小6)
- 全国中学校体育大会優勝(中1)
- 国際大会へ日本代表として出場(中2)
未来乃さんは、パリオリンピックに向けて練習をしています。
姉妹揃っての出場になる可能性もありますよね!今後の活躍が楽しみです。
弟さんについての情報は少なかったのですが、新体操ではなく、野球をしているようです。
大会には、お父さんが付き添っています。新体操をしている綺麗なお姉さんが2人もいて、羨ましいですよね♪
まとめ
【新体操日本代表 喜田純鈴さん】
- 2021年現在20歳で、大学2年生
- 身長165cm/体重46kgで、手足の長さが魅力
- 地元は香川県坂出市
- 4歳で「エンジェルRGカガワ日中」に入り、新体操を始めた
- コーチは中国出身の劉宇(リュウ ユ)さん
- 出身校は、坂出小学校・坂出中学校
- 中学卒業後は高松中央高に入学し、2年の始めから卒業までロシアに留学
- 腰の怪我で帰国し、そのまま拠点を日本に戻す
- 大学は国士舘大学
- 両親は新体操経験者で、妹もパリ五輪を目指している
- 弟は野球をしている
- Twitter:@ktsmr2001
- Instagram:@smr0111
幼いころからトップを走り続けたことで感じた、悔しさや困難がありました。
長年の夢だった、東京オリンピック出場が叶い、ファンとしてとても嬉しく思います。
結果にとらわれず、喜田純鈴さんらしい演技を見せてくれることを楽しみにしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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